大変さが
うまく伝わらない
以前書いたと
思いますが、
外出先で、
ひーくんが
急にパニックを起こし、
近くの席に座っていた
おじさんに、
「ちゃんとしつけしとけよ❗️」
と言われてしまったことが
あります。
言われた時は、
すごくショックでした。
しつけ出来たら苦労しないよ。。
と思いつつも
反撃する元気もなく。。
確かにうるさくしてしまったのは
こちらなので、
障害あるとか
ないとか関係なくね
申し訳なかったと????
謝りました。
おじさんも、
こちらの事情が
わからなかったと思うしね。
ただ、
パニックを起こしたら
お店の外に出すのも
一苦労なんだよな〜
と思ったりもしてね、
一瞬で全てを
わかってもらうのは
非常に
難しいのでした。
ひーくんの場合、
まだ小さいっていうのもあって
見た目ですぐ
障害のある子だと
わかってもらえないって
いうのもあり、
これが
けっこうストレスでした。
「しつけ」ってなんだろう?
この時、
「しつけ」って言う
キーワードが
ポーンと私の中に
入ってきたんですが、
一体
「しつけ」ってなんなんだろう❓
ふと疑問が湧いて。
各ご家庭で、
いろんなルールが
あるんでしょうね。
それこそ、千差万別
なんでしょう。
「普通こうするよね」
とか
「こういう時は、
これやっちゃダメでしょ」
とかね。
それぞれのルールがある。
きっと
集合性無意識に
深く関わっているように
思う。
人に迷惑をかけちゃいけない。
とか
礼儀正しくないとね。
とか、
多くの人が良しとする
暗黙のルールのような
もの。
親世代から
脈々と受け継がれている
DNAの一部のようなもの。
それを受け継ぐべきなのか、
どうなのか?
「しつけ」を通して
そんな投げかけを
されているようで、。
ひーくんは、
私のコアな部分に、
時々メスを入れてくる。
いいの?
それで?
本当にいいの?
って。
ママはどう思うの?
って。
そう問われるたびに
心が、なんだか
もやっと曇るのだった。
今まで正しいと思っていた
私の「しつけ」は、
実は自分で選択したものでは
なかったんだ。
親にそう言われたから?、
あの人がそういってたから?、
いや、そう言うもんだと
思ってたし、、
こうしとけば間違いないはず。。
疑うことなく、
長い間、
自分の中心に居座った
それは、
きっと
私のものでは
なかったんだ。
しつけ糸のように
ふんわりと
「しつけ」も
みんなと違って
いいんじゃなないかなって。
そのとき
思えたの。
しつけ糸ってありますよね?
裁縫するとき、
本縫いする前に、
しつけてあげる糸のこと。
私の「しつけ」のイメージって
あれに近いんですよね。
ちゃんと自立できるように、
サポートしてあげる感じ。
いつか、ほどかれていく
しつけ糸のように、
ふわりと見守って
あげられたらいいな〜と。。